まえがき
第1章 「ディスアビリティの削減、インペアメントの変換」 石川 准
第2章 「ないにこしたことはない、か」 立岩 真也
第3章 「障害者を嫌がり、嫌い、恐れるということ」 好井 裕明
第4章 「欲望する、<男>になる」 倉本 智明
第5章 「声を生み出すこと──女性障害者運動の軌跡」 瀬山 紀子
第6章 「所属変更あるいは汚名返上としての中途診断
──人が自らラベルを求めるとき」ニキ リンコ
第7章 「能力と危害」 寺本 晃久
第8章 「インペアメントを語る契機 ──イギリス障害学理論の展開」 杉野 昭博
あとがき
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まえがき
本書は『障害学への招待』(石川准・長瀬修編、1999年、明石書店)の続編として企画された。
前著『障害学の招待』以後、私たちは「障害学研究会」を関東・関西でそれぞれ一、二カ月に一度のペースで続けてきた。また「障害学メーリングリスト」でも活発な議論が行われてきた。
本書は、執筆者それぞれの継続的な研究、思索、実践活動の積み重ねに加えて、そうした研究会やメーリングリストでの議論の成果に多くを負っている。
前著は、思いがけず多くの方に読んでいただき、貴重なコメントも数多くいただいた。多くの方が、産声をあげたばかりの障害学の成長を楽しみにし、祝福してくださったのは嬉しかったが、真価が問われるのはこれからだと気を引き締めて企画を立ち上げたのが本書である。
理論と実践の今日的な文脈における本書の位置づけについては本書を通読していただいたうえで、あとがきで述べるのがよいだろう。ここでは、各章で取り上げられている主題と、主張されている内容を簡単に紹介するだけにとどめたい。
第一章では、しばしば排他的なものとして語られ、また実際に対立しがちでもある平等派と差異派、社会モデルと文化モデルの両立可能性を論じる。
社会モデルは、社会が負担を負えば解決する障害のことをディスアビリティと呼ぶ。そして社会が負担を負っても解決しない障害はインペアメントとする。
文化モデルは、障害を意味あるもの、肯定されるものへと変換しようとしてきたが、社会モデルはこうした言説には無関心であり、肯定も否定もしない。ディスアビリティが減少すれば障害のかなりの部分は自ずとたんなる身体にもどっていくという展望に立ってディスアビリティの削減をめざす。社会モデルは、ディスアビリティの除去という実質的な成果とともに、その間接効果としてインペアメントの軽視を実現しようとしている。
社会モデルと両立しうる障害の文化への変換は、ディスアビリティ概念を棄却しないタイプのもの、つまりインペアメントの文化への変換に限られる。社会モデルはインペアメントを対象外とするのだから、それが文化に変換されることはかまわない。文化モデルのほうもディスアビリティを認めてしまうと文化を立ち上げられなくなるというわけではない。一方で、インペアメントという考え方は争点とせず、ディスアビリティの削減だけをめざすことは可能であるし、他方、ディスアビリティが解決すべき問題として存在することは少なくとも認めつつ、インペアメントを文化に変換することに専念する道もある。第一章ではこう主張される。
第二章では、「障害はないにこしたことはない」といえるのかを考える。
障害の肯定・障害者の否定が問題になった具体的な文脈がいくつかある。一つは優生保護法の「改悪」であった。また「早期発見・早期治療」に対する疑問が示されることもあった。
もし障害がなおるならなおすはずだ、だから障害がないことはよいことだとしばしば言われる。もしなおらなければそれはそれとして必要な支援や配慮をすべきだが、なおるものならなおせばよいし、予防できるものなら予防するほうがよいと言う。これはだれしも最初に考えることだが、だとするとやはり障害がないこと、なくなることはよいことで、あることはよくないこと、と言えるのだろうか。しかし反発する側の言い分になにかあるように、理があるように思える。彼らの提起を受け止める道があるだろうと考える。それを考えてみようというのが第二章である。
障害はないにこしたことはないのか。本人にとっては必ずしもそう言えないこと、他方、周囲にとってはない方がよいものであること、簡単に「ない方がよい」と言うのは、このことを覆い隠してしまうことを述べる。
第三章の主題は障害者フォビアのエスノメソドロジーである。
障害者フォビアのエスノメソドロジー、要するにそれは、普段、私たちはどのようにして障害者を嫌ったり、嫌がったり、恐れたりしているのか、を詳細に解読する作業のことである。「嫌ったり、嫌がったり、恐れたりするということ」は、まさに普段から、さまざまな対象に向けて、私たちが何気なく、あるいはとても意識しつつ、さまざまなかたちで行っているのであり、その意味で、日常をつくりあげている、きわめて意味ある私たちの実践である。
日常的な差別、排除あるいは差別の日常をいかに解読し、暮らしのなかで私たち自身の営みをとおしていかに変革できるのかを考えようとするとき、これは避けて通れない主題である。
「障害の文化」の創造、その営みがおよぼすであろう日常の暮らしへの変革力、変革する源泉となる新たな合理性の創造といったことを考えるとき、本章のテーマである障害者フォビアを論じていくベクトルも、おのずから決まってくる。障害者を嫌う、嫌がる、恐れるということは、合理的なできごとなのだろうか。それとも説明のつかない、わけのわからない感情から発露する非合理的なできごとなのだろうか。第三章はこの問いを考えていく。
セクシュアリティの近代は、障害者が性的な感情や感覚、行為の主体であることを否認してきた。とりわけ全身性障害者や知的障害者など、「逸脱」の度合いが高いとみなされる人びと、あるいは、性機能障害を有する人びとについてはその傾向が顕著である。彼ら/彼女らは、性的コミュニケーションを交わすパートナーを見つけ出すための市場から排除されるとともに、性的欲望をもつことそれ自体や、セクシュアリティの一部として構築された種々の感覚の存在すら否定されてきた。
このことに関わる議論が、近年にわかに活発化している。もっぱら男性障害者のそれが中心ではあるが、マスメディアもこの問題に関心をよせるようになってきた。第四章では、そのようななか、とりわけメディアへの露出度の高い男性障害者たちの言説に注目し、性的主体、わけても欲望する主体としての承認を獲得するために彼らが選択したひとつの戦略について検討する。
その戦略とは、支配的なセクシュアリティが公認する欲望の主体であるところの「男」に自身を重ねる、その仲間入りをすることに活路を見出そうとするものである。しかし、障害者が「男」を演じるには多くの困難がある。マテリアルな面においても、社会的な次元にあっても、「男」が前提とするのは、あくまでも健常者男性の身体であり、そのふるまい・生である。
第五章では、一九七〇年代から現在までの、主に身体に障害を持つ女性たちの運動や活動の軌跡をたどり、そこで見いだされてきた問題をあらためて位置づけなおす試みを行う。
女性障害者は、障害者として社会的な抑圧を受けていると同時に、社会文化的につくられた制度としてのジェンダーによって、社会的な抑圧を受けている。それは、ある時には「女性役割」が担えないという偏見や役割が担えないことによる差別という形で表出し、別なところでは、月経介助が必要な身体を有するものであることに対する抑圧や暴力という形で表出している。そして多くの場合、それらの社会的な差別や抑圧は、障害を持つ女性自身の自己否定感や自責感を生み出し、彼女たちの孤立を招いている。
しかし、一方で障害を持つ女性たちは、七〇年代から日本の各地で、女性であり障害者である自分たちの経験を語り合い、自己を肯定的に生きなおす闘いを生み出してもきたのである。
第六章は先天性の障害に気づかれず、未診断のまま成長し、その後に障害の診断を受けた人々の体験を取り上げる。
インペアメント自体は先天性であり、受傷や発病のような心身機能の急激な変化を経験したことはないのに、時期(発見↓自己診断↓専門家による診断↓ピアとの出会い↓受容)を境に、自分の経験を解釈する枠組みも、自己像も、そして所属意識までも大きく変わる経験をする人々がいる。それはアスペルガー症候群、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、読字障害(ディスレクシア)などの認知障害、発達障害などにおいてときおり起きる。
これらの人々のなかには「逸脱した健常者」というレッテルにひどく苦しんできた人が多い。障害が原因で失敗をしても、障害のあることを知られていなければ、本当にできないのにもかかわらず、怠けている、反抗している、やる気がないと解釈されてしまう。
彼らのなかには、成人後に診断を受けて、安心した、救われたと語る者が多い。長年「何かおかしい」と思いながらその正体がわからなかった者にとっては、名前がつくことは大きな救いになりうる。それは新しい所属先、帰属意識の獲得となり、身の丈に合い、実感に添った自己像を新たに形成するきっかけにもなるからであり、これまでの違和感が錯覚でもなければ嘘でもなかったという確認にもなり、自分は自分の感覚をあてにしてもよいのだという保証にもなるからである。
第七章では、明治・大正期において知的障害と危害とがどのように問題とされ、取り扱われてきたかを検討することによって、障害―危害に対する視点のひとつの源流を探る。
障害者が実際に犯罪を犯してしまう(あるいは疑いがかけられる)ことがある。このとき注意深い論者は、単に障害があるから犯罪を犯したというのではなく、その障害者の一部あるいは特定の障害をもつ者のみが、その障害によって犯罪を犯してしまうのだと述べる。こうした物言いは、障害者=犯罪者という乱暴な意見に比べれば穏当であるかもしれない。だが、一部とはいえ、やはり障害を原因とする犯罪がありうることを認めていることは確かである。
「危害」が問題とされるとき、「危害」が立ち現れる場の政治性を――それが何の/何に対しての/どのような危害であるのか、またその危害は何によって/どのように語られているのかを検討する必要がある。障害から危害をいかにはがしていけるか。たとえば、触法障害者のための新たな施設の必要性が語られるとき、その前提となる、この社会における「施設」の意味づけについて、再考する必要がある。
第八章ではイギリスの障害学と日本の障害学を比較し、日本の障害学の特徴を浮き彫りにする。
イギリスにおける障害学は「健常者社会のヘゲモニーの相対化」を軸として展開してきた。「健常者社会と障害」をとらえる観点は、「障害学」が成立する以前の「障害の政治経済学」から含めて考えると、機能主義からマルクス主義的構造主義を経て今日ではポスト構造主義(ポストモダン)の影響が増している。いわば二〇世紀における社会科学におけるパラダイム転換の歴史を、障害学はその三〇年あまりの歴史において再現していると言える。
このような英米における展開のなかで、わが国の障害学でも「障害の文化」や「文化モデル」といった概念に注目が集まっていることは自然な成り行きのようにも見える。しかし、イギリスとの比較において気になるのは、日本とイギリスでは障害学の発展経緯が「転倒」しているように見えることである。
イギリスにおいては「平等派」を経て「差異派」が誕生している。一方、日本の「差異派」の起源を「青い芝」に求めるとすれば、日本では初めから「差異派」が存在している。「青い芝」の思想を原点として思考を積み上げてきた日本の「障害学」にとっては、イギリスの障害学は、オリバーら「第一世代」よりもモリス以降の「第二世代」の主張の方がなじみやすい。障害学の「全体構成」について、イギリスを範として考えた場合、日本には「第二世代」も「文化研究」もその基盤はすでに最初から存在していたように思える。日本に欠けているのは、むしろイギリスにおける「第一世代」に相当するものかもしれない。
以上が本書第一章から第八章までの編者なりの要約である。それでは、これからしばし、私たちの「障害学の主張」に耳を傾けていただきたい。
2002年9月 石川 准